近視や遠視、乱視もなく裸眼で両目1.0以上あるんだけど、私のような人が9割以上の世界なら眼鏡・コンタクトレンズ使用者は視覚障害者になる。そうじゃないのは、視力補助ツールを使う人の方が圧倒的に多いから。マジョリティだから。マジョリティだと、障害者は障害者ではなくなる。
発達障害者も、圧倒的多数派になればただの神経多様性になる。みんなと同じようなことが当たり前に出来ないから今のところ障害者だけど、多くの方がご存知のとおり、みんなと同じようなことができるだけの人が稼げる時代じゃなくなってる。うちの子が大人になる頃には更にそうなることが予想される。
「発達障害は個性」と断言する気はないけど、このまま「フツーじゃない人」を障害者扱いし続けてると、国力は下がる一方だよー。外貨を稼ぐ国にしたいなら、「あなたの脳はそういう発達なのね」が当たり前の空気を作って行ったほうがいい。
本来はただそこにあるだけの対象に対して、メリットもデメリットはなくて。受け取り手によって変化するからこそ表裏一体で。「個人の感想としては不利益である」が集合した瞬間に障害者が誕生する。そりゃデメリットだけに着目してたら厄介な存在よな。表裏一体だからこそ同じだけメリットもある。
昨晩は主人の友人夫婦と飲み会してて、このメンツだと私は発達障害者じゃなくなるんだ。コミュニケーションが円滑に進む。気張らないから疲れない。
私のアスペも人によってアスペじゃなくなるんだなあとつくづく思った出来事。三日前に旦那の実家経由でNさんからきゅうりをたくさんいただいた。全部で30本近く。そのNさんが先ほど軽トラで我が家に。「先日はどうも、お野菜たくさん助かります~」とごあいさつしたら
Nさんが「(ノ∀`)アチャー実家からそっちに行ってたかあ」って。そこで、ああ、お野菜を持ってきてくれたんだとわかった。そしてアスペのチーズケーキ課題を思い出した。この場合めったにうちに来ないNさんが軽トラで来たということは、
3日前に旦那実家経由で来た大量のきゅうりとトマトから察することができたわけで。Nさんは「じゃあ、大根とオクラとアイコ(プチトマト)置いてくから!きゅうりはどっかにやる!」と爽やかに去っていった。どっちも気まずくならなかった。「昔は発達はいなかった」の理由はいろいろあるけど、
その一つがこういうことなんだなと思った。Nさんは「せっかく持ってきたのに」とならず「もらってくれてありがとうね~」。私も前回お野菜は頂いてると言っても良くて「度々ありがとうございます~」。お互いを受け入れ合う世界に障害者はいないんだなあ、とつくづく。